クリスマスを祝うのは、いけないことですか?〜クリスマスと政教分離〜

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クリスマスは多くの人々にとって特別な時期ですが、この祝日が法的な論争の的になることもあります。

特に、アメリカの『Lynch v. Donnelly, 465 U.S. 668 (1984)』の判例は、クリスマスのお祝いと政教分離の原則との間の複雑な関係を示しています。この記事では、この「Lynch v. Donnelly」の判例に焦点を当て、クリスマスのお祝いがいかにして憲法上の問題点になるのかを解析します。

1984年のこの判例では、アメリカ合衆国連邦最高裁判所が、クリスマスの公共の場での祝賀と政教分離原則に関する重要な判断を下しました。ロードアイランド州のポータケット市でのクリスマスデコレーションが、合衆国憲法修正第1条に違反するかどうかが争点でした。

本記事では、この判例の背景、議論の内容、そして最終的な判断に至るまでのプロセスを詳細に掘り下げます。また、この判例が示す政教分離原則の解釈と、それが現代社会に与える意味についても考察します。

本記事はあくまで判例の簡単な紹介であり、詳細な法律論にまでは立入できないをご了承ください。

目次

アメリカ合衆国における政教分離

まず、合衆国憲法修正第1条を見てみましょう。

連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、 ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。

参考訳出(アメリカンセンター・ジャパン):https://americancenterjapan.com/aboutusa/laws/2569/

同条文は様々な内容を含んでいますが、「国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律・・・は、これを制定してはならない」と規定しているので、いわゆる「政教分離原則」を定めていると言われます。

この政教分離原則とは、一般には、「国家と宗教の分離の原則」のことであり、国によって様々な形があります。 憲法学の定番の解説書によれば、以下のように整理されています。

主要な形態としては、①国教制度を建前としつつ国教以外の宗教に対して広汎な宗教的寛容を認めるイギリス型、②国家と宗教団体とを分離させながら、国家と教会とは各々その固有の領域において独立であることを認め、競合する事項については政教条約(Konkordat;教会条約とか和親条約とも言われる)を締結し、それに基づちて処理すべきものとするイタリア・ドイツ型、③国家と宗教とを厳格に分離し、相互に干渉しないことを主義とするアメリカ型がある。日本国憲法における政教分離原則は、アメリカ型に属し、国家と宗教との厳格な分離を定めている。

芦部信喜=高橋和之(補訂)『憲法 第八版』(岩波書店,2023)171-172頁

このように、アメリカ型は厳格な分離を定めており、日本も同じ類型とされているので、今回の事件をはじめとするアメリカの考え方自体は参考になりそうですね。

事案の概要

次に、具体的な事件の内容を見ていきましょう。

事件の舞台は、ロードアイランド州のポータケット市にある公園です。そこでは、クリスマスの季節になると、毎年サンタやトナカイ、クリスマスツリーなどの飾り付けがされていました。

しかし、飾り付けはこれだけではなく、実物大の幼いイエスキリストが天使や羊飼いと共に描かれたキリスト降誕図も展示されていたのです。これは、市が購入した市有物であり、このような市による展示は、修正第1条の政教分離に反するとして、市民が本件訴訟を提起しました。

その後、連邦地裁も連邦控訴裁判所も、このような展示は政教分離原則に反するとして違憲判決を下しました。

最高裁の判決内容

こうして本件は最高裁まで争われたわけですが、なんと最高裁では5対4で裁判官が分裂し、結論としては合憲判決が下されました。僅差での合憲判決であり、非常に微妙な判断だったことがわかります。 以下では、それぞれの意見を簡単に見ていきます。

法廷意見

バーガー長官による法廷意見は、まず、政教分離が完全な分離ではないことに言及します。そして、アメリカの生活において宗教の果たす役割が大きいことを指摘して、政府による宗教の公的承認が否定できない場面があることを、サンクスギビングや公の美術館の宗教画などの様々な例を挙げて説明しました。その上で、それぞれのケースごとに禁止されるか否かの線引きを行う必要性から、

  • その行為が世俗的目的を持つか?
  • その主要な効果が宗教を促進したり禁止したりすることになるのか?
  • 宗教に対する政府の過度のかかわり合いをもたらすか?

という3つの基準からなる、いわゆるレモンテストを用いると宣言しました。もっとも、その際には、キリスト降誕図を単体で見るのではなく、クリスマスシーズンという状況も考慮することに注意を促しています。

そして、市によるキリスト降誕図の展示は、

  • 祝日を祝い、その起源を描くという世俗的目的である
  • 公の美術館における宗教画の展示のような他の合憲事例と比較しても、宗教を促進したり禁止したりするものではない
  • 宗教団体などに対する財政的援助と異なり宗教に対する行政的なかかわり合いもない

と判断しました。

したがって、キリスト降誕図の展示は、クリスマスの起源を思い出させる受動的なもので、社会によって承認されてきた祝賀の一部に過ぎないのであり、これを禁止することは、歴史及び信念に反する大げさな過剰反応だとして、合憲判決を下しました。

反対意見

これに対して、反対意見もレモンテストを適用していますが、法廷意見は同テストを表面的にのみ適用したと批判して、結論としては真逆のものとなっています。

すなわち、ブレナン判事は、市によるキリスト降誕図の展示は、

  • 市の意図する世俗的目的はキリスト降誕図の展示なくしても達成できるため、背後に宗教的目的がある
  • キリスト教に公的承認という独占的な恩恵を与えるもので、反対にキリスト教を信じない者は公の支持を受けないとのメッセージを与える効果がある
  • 訴訟が提起されている点で政治的分裂が発生しており、過度な関わり合いがある

と判断しました。

また、法廷意見に対しては、クリスマス休日が国民文化において世俗的な側面と宗教的な側面の両要素を有していることを見逃していると批判し、公的にクリスマスを祝う習慣は19世紀後半に一般化した近年のものに過ぎないのであり、市によるキリスト降誕図の展示は違憲であるとしました。

考察

このように、本件は両意見が真っ向から対立し、政教分離事例における憲法判断の難しさを物語っています。

いずれの意見においても、適用されたのはいわゆるレモンテストであり、基準が同じなのに結論が真逆になってしまったことから、この判決を取り上げて同基準自体に対する批判がされることもあるようです。

もっとも、おそらく基準がどのようなものであろうと、本件で最終的な判断を分けるポイントとなるのは、

  • クリスマスを祝う習慣をどのように理解するか?
  • キリスト降誕図の宗教的位置づけをどのように理解するか?

という2点にあると思われます。

両意見が食い違っているのも、主にこれらの点の認識の相違に由来していると考えられます。

そして、これらは国や時代において変動していくものであるといえるでしょう。この意味でも、政教分離原則に関する判断は、様々な社会的・文化的事情を考慮して行われる非常に難しいものであると言えます。

まとめ

以上、クリスマスにまつわるアメリカの判例についてご紹介してきました。

本記事の執筆にあたって調べた限り、日本では本件のようなクリスマスにまつわる事案は見当たりませんでしたが、もしかするとそれは、日本ではそもそもクリスマスがキリスト教のお祝いだという認識が薄いことも関係しているかもしれません。

しかし、今後、宗教や信仰が多様化していくにつれて、こうした事案がどこかで争われるかもしれません。その時のためにも、毎年クリスマスの日には、チキンやケーキを味わいながら、頭の片隅にこの事件を思い出してもらえるといいかもしれません。

それでは、Merry Christmas !

参考文献

  • 横田耕一「市によるクリスマスの展示と政教分離の原則」ジュリスト846号111-116頁(有斐閣,1985)
  • 松井茂記『アメリカ憲法入門〔第9版〕』(有斐閣,2023)320-321頁

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