【性同一性障害特例法違憲判決】なぜ最高裁は違憲に踏み切ったのか?

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2023年10月25日、戦後12件目の法令違憲判決が下されました。まず事案と判旨を紹介し、判決の意義、先例との異同、論点、判決の影響について掘り下げて解説していきます。

目次

本判決の事案と判旨

【事案】
生物学的な性別は男性であるが心理的な性別は女性である抗告人Xが、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(以下「特例法」という。)3条1項の規定に基づき、性別の取扱いの変更の審判を申し立てた事案である。問題となっていた条文は以下のとおりである。

第三条 家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。

一 二十歳以上であること。

二 現に婚姻をしていないこと。

三 現に子がいないこと。

四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。

五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

そして、特例法3条1項4号(以下、「本件規定」という。)は、「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。」と規定するところ、本件規定に該当するためには、抗がん剤の投与等によって生殖腺の機能全般が永続的に失われているなどの事情のない限り生殖腺除去手術を受ける必要がある。Xは、生殖腺除去手術を受けておらず、抗告人について上記事情があることもうかがわれない。

原審(広島高裁岡山支部決令和2年9月30日)は、Xについて、性同一性障害者であって、特例法3条1項1号から3号までにはいずれも該当するものの、本件規定に該当するものではないとした上で、本件規定は、性別変更審判を受けた者について変更前の性別の生殖機能により子が生まれることがあれば、社会に混乱を生じさせかねないなどの配慮に基づくものと解されるところ、その制約の態様等には相当性があり、憲法13条及び14条1項に違反するものとはいえないとして、本件申立てを却下すべきものとした。

また、原審は「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。」と規定する特例法3条1項5号が憲法13条、14条1項に違反する旨の主張について判断していない。

【判旨】破棄差戻し

  1. 憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているところ、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由(以下、単に「身体への侵襲を受けない自由」という。)が、人格的生存に関わる重要な権利として、同条によって保障されていることは明らかである。

    ……性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、法的性別が社会生活上の多様な場面において個人の基本的な属性の一つとして取り扱われており、性同一性障害を有する者の置かれた状況が既にみたとおりのものであることに鑑みると、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益というべきである。

    本件規定は、治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対して、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を実現するために、同手術を受けることを余儀なくさせるという点において、身体への侵襲を受けない自由を制約するものということができ、このような制約は、性同一性障害を有する者一般に対して生殖腺除去手術を受けることを直接的に強制するものではないことを考慮しても、身体への侵襲を受けない自由の重要性に照らし、必要かつ合理的なものということができない限り、許されないというべきである。

    そして、本件規定が必要かつ合理的な制約を課すものとして憲法13条に適合するか否かについては、本件規定の目的のために制約が必要とされる程度と、制約される自由の内容及び性質、具体的な制約の態様及び程度等を較量して判断されるべきものと解するのが相当である。
  2. ……本件規定がなかったとしても、生殖腺除去手術を受けずに性別変更審判を受けた者が子をもうけることにより親子関係等に関わる問題が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる。……そもそも平成20年改正により、成年の子がいる性同一性障害者が性別変更審判を受けた場合には、「女である父」や「男である母」の存在が肯認されることとなったが、現在までの間に、このことにより親子関係等に関わる混乱が社会に生じたとはうかがわれない。

    れに加えて、特例法の施行から約19年が経過し、これまでに1万人を超える者が性別変更審判を受けるに至っている中で、性同一性障害を有する者に関する理解が広まりつつあり、その社会生活上の問題を解消するための環境整備に向けた取組等も社会の様々な領域において行われていることからすると、上記の事態が生じ得ることが社会全体にとって予期せぬ急激な変化に当たるとまではいい難い。

    以上検討したところによれば、特例法の制定当時に考慮されていた本件規定による制約の必要性は、その前提となる諸事情の変化により低減しているというべきである。
  3. 特例法の制定後、性同一性障害に対する医学的知見が進展し、性同一性障害を有する者の示す症状及びこれに対する治療の在り方の多様性に関する認識が一般化して段階的治療という考え方が採られなくなり、性同一性障害に対する治療として、どのような身体的治療を必要とするかは患者によって異なるものとされたことにより、必要な治療を受けたか否かは性別適合手術を受けたか否かによって決まるものではなくなり、上記要件を課すことは、医学的にみて合理的関連性を欠くに至っているといわざるを得ない。

    そして、本件規定による身体への侵襲を受けない自由に対する制約は、上記のような医学的知見の進展に伴い、治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対し、身体への侵襲を受けない自由を放棄して強度な身体的侵襲である生殖腺除去手術を受けることを甘受するか、又は性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかという過酷な二者択一を迫るものになったということができる。

    そうすると、本件規定は、上記のような二者択一を迫るという態様により過剰な制約を課すものであるから、本件規定による制約の程度は重大なものというべきである。
  4. 本件規定による身体への侵襲を受けない自由の制約については、現時点において、その必要性が低減しており、その程度が重大なものとなっていることなどを総合的に較量すれば、必要かつ合理的なものということはできない。

    よって、本件規定は憲法13条に違反するものというべきである。

本判決の意義と構造

本判決は、戦後12件目の法令違憲判決であり、最二小決平成31年1月23日(令和元年重要判例解説 憲法2[斎藤愛]、以下「平成31年最決」という。)を判例変更したものであり、重要な判決といえる。ただし、この判決の重要性はもっと根深いところにあると思われるが、その点は後述する。

本判決の構造は、非常に分かりやすいものとなっている。まず、Ⅰにおいて、「身体への侵襲を受けない自由」を憲法13条から導き出し、その重要性を簡単に認定し、その制約の強度について議論を展開している。その上で、Ⅱにおいて、制約の必要性が低減していることを認定し、Ⅲにおいて、制約が過剰となっていることを認定したうえで、本件規定が13条に違反すると判断している。

①において

①において重要な点は、自らの性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることが「個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益」と言われている点である。

平成31年最決当時においても、斎藤愛は、「いずれの思考に立っていたとしても、「性自認に基づいて性別の取扱いを受ける権利(ないし利益)」に全く言及することなく、本件規定の合憲性を論証することはできなかったのではないか」と指摘していた(令和元年重要判例解説 ジュリスト1544号(2020年)11頁)。

その後、トランスジェンダーによる性自認に従ったトイレの使用を求める裁判で、最高裁(最判令和5年7月11日)の多数意見は、性自認に従った性別の取扱いを受ける利益に言及してはいないが、「自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けている」と判示している。

また、渡邉補足意見において、「性別は、社会生活や人間関係における個人の属性として、個人の人格的な生存と密接かつ不可分であり、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることは重要な法益として、その判断においても十分に尊重されるべきもの」との判断が示されている点が興味深い。

②において

②においては、親子関係の複雑化については、そもそもその問題が生じ得ることが極めてまれであること、平成20年改正により「女である父」「男である母」の存在が生じ得ることが挙げられている。

これらの事情は、平成31年当時と現在とで大きく変わらないと思われることからすると、平成31年最決においても、このような反対利益は説得力をあまり持っていなかったのではないかと思われる。そして、性同一性障害に対する理解が深まっていることを理由に、性別変更前の生殖腺がある性別変更者の存在自体は、社会全体にとって予期せぬ急激な変化とはいえないことが指摘されている。

このような事情も平成31年当時と現在とでどれほど異なるか定かではなく、最高裁は、平成31年当時から現在に至るまで社会の混乱が生じないことを確認して、万全を期して判例変更したと考えるべきであろう。

③において

③においては、性同一性障害に対する医学的知見の変化により、性別適合手術が治療の最終段階のものとはならなくなったこと、これに対して、本件規定を前提とすれば、生殖腺除去手術を受けて性自認に従った性別の取扱いを受けるか、生殖除去手術を受けないでかかる取扱いを諦めるかの二者択一が迫られている点に着目する。

この二者択一が過剰な制約であるとして、意見の判断に至っている。

先例との異同

判例変更となった平成31年最決の多数意見は、

「本件規定は、性同一性障害者一般に対して上記手術(生殖腺除去手術:筆者注)を受けること自体を強制するものではないが、性同一性障害者によっては、上記手術まで望まないのに当該審判を受けるためやむなく上記手術を受けることもあり得るところであって、その意思に反して身体への侵襲を受けない自由を制約する面もあることは否定できない。」

としつつも、

「当該審判を受けた者について変更前の性別の生殖機能により子が生まれることがあれば、親子関係等に関わる問題が生じ、社会に混乱を生じさせかねないことや、長きにわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がされてきた中で急激な形での変化を避ける等の配慮に基づくものと解される。これらの配慮の必要性、方法の相当性等は、性自認に従った性別の取扱いや家族制度の理解に関する社会的状況の変化等に応じて変わり得るものであり、このような規定の憲法適合性については不断の検討を要するものというべきであるが、本件規定の目的、上記の制約の態様、現在の社会的状況等を総合的に較量すると、本件規定は、現時点では、憲法13条、14条1項に違反するものとはいえない。」

と判示していた。このような多数意見に対して、鬼丸裁判官と三浦裁判官の補足意見によれば、性別が重要な法的利益であることを前提に、上記手術を受けなければそのような法的利益を受けることができないこと、治療の多様化により手術が最終段階の位置づけを与えられていないこと、意思に反して身体への侵襲を受けない自由として憲法13条により保障されること、性別の取扱いが変更された後に変更前の性別の生殖機能により懐妊・出産という事態が生ずることがそれ自体極めてまれなこと等を挙げて、「本件規定は、現時点では、憲法13条に違反するとまではいえないものの、その疑いが生じていることは否定できない」としていた。

本判決は、概ね平成31年最決の補足意見と同様の判示をして、本件規定を違憲判断することとなった。当該判決の多数意見を見てもわかる通り、本件規定の違憲性は当時から疑われていたところ、反対意見ではなく補足意見という形で反対が表明されていたことからも、当時の第二小法廷内でも相当悩みがあったことが伺える。

本判決は、平成31年最決において、違憲と判断しえなかった決定的な要因たる「変更前の性別の生殖機能により子が生まれることによる親子関係等に関わる問題による社会の混乱」及び「長きにわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がされてきた中で急激な形での変化を避ける等の配慮」の必要性が低減したと判断され、違憲判断がなされている。

論点

社会の混乱と人権

本判決と先行する平成31年最決との違いは、社会全体にとっての急激な変化による混乱が予期されるか否かにあった。そして、本判決に至り、そのような混乱が見られないことなどを受けて、本判決は判例変更をして、本件規定を違憲と判断するに至った。

もっとも、自己の意思に反して身体の侵襲を受けない自由という人権の重要性に鑑みれば、社会の混乱という反対利益により、かかる人権の制約が正当化されてよいのかという疑問がある。

もちろん社会の混乱を防止することが重要であることまでをも否定するつもりはなく、例えば、関東大震災後の混乱のような社会の混乱は、防ぐべき混乱の1つといえる。もっとも、本件一連の訴訟で考慮されていた混乱は、性別変更前の性別に基づく生殖による親子関係の複雑化、生物学的性からの急激な変更というものである。しかし、第一の点については、家庭内の問題であり、当該家庭内で解決すべき問題である。

どの家庭にも大なり小なり解決すべき課題があるところ、国家が重要な人権を制約してまで一定の方向を差し向ける必要のあるものとは言い難い。加えて、本判決でも示されている通り、そもそも親子関係が複雑化すること自体が極めて稀な事態であるといえる。

第二の点については、公共の場においては、生物学的性を基準とすべき場所(大衆浴場等)とそうでない場所(公園や駅等)とがあるところ、公共の場では生物学的性を視認できる場所は多くなく、生物学的性に基づいた取扱いが必要となる場面が多くないことから、そもそも社会の混乱が生じ難いように思われる。

生物学的性を基準とすべき場所では、これまで通りの運用を実施すれば足りるといえ、その点に関してまで変更を迫るような事態は起こり得ないと思われる。このような曖昧な「社会の混乱」という反対利益によって、重要な人権が侵害されていたことは、大きな問題であり、重要な人権を制約する反対利益の考慮に際しては、そのおそれが生じ得る具体性についてまで論証することが求められると思われる。

先行する静岡家裁の判断

静岡家庭裁判所浜松支部は、10月11日、本件規定が違憲であることから、生殖腺の不能といった自由がない人でも、生殖腺除去手術がなしに性別変更を認める決定を下していた。かかる判断は、本判決に先行する形で出されており、仮に本判決が合憲判断を下していた場合、県のレベルで法解釈の統一性が図られない可能性があった。

性別変更の審判は、原告と被告が対立しているような訴訟とは異なり、対審構造をとらない。そうすると、審判を受けた本人が満足すれば、その審判はそこで終了となる。そのため、選好する静岡家裁の判断は確定することとなっており、その意味で本判決の動向がさらに注目される結果となっていた。

ただし、大法廷回付がなされる場合、判例変更の可能性が非常に高いことを考えれば、このような心配は杞憂のものであったということができる。目の前の当事者の権利侵害を防ぐことに注力した結果なのかもしれない。

将来判断される訴訟への影響

本件規定は、生殖腺がないことを条件とした性別変更を認めるものとなっているところ、全く同じではないがこのような規定は、本件規定以外にも過去に存在していたことを忘れてはならないであろう。

それは1996年に廃止された旧優生保護法である。同法2条1項において、「優生手術とは、生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術で命令をもつて定めるもの」と定義し、同法3条で任意の優生手術を規定し、同法4条において以下のように定めていた。

第四条 医師は、診断の結果、別表に掲げる疾患に罹つていることを確認した場合において、その者に対し、その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、前条の同意を得なくとも、都道府県優生保護委員会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請することができる。 

このような生殖を不能とする手術が強制的に行われることは、本判決の事案と酷似しているというべきであろう。現在、旧優生保護法に基づく優生手術により損害を被ったとして国家賠償請求が各地で提起され、高裁判決が多く出ている(例えば、仙台高判令和5年6月1日、大阪高判令和5年3月23日)中、令和5年11月1日、最高裁第一小法廷が大法廷回付を決定した。法的観点から、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由の重要性を重くみた本判決は、旧優生保護法の国賠請求についても、大きな影響を及ぼすこととなるだろう。

参考文献

  • 斎藤愛「平成31年最判判批」『令和元年重要判例解説』ジュリスト1544号(2020年)10~11頁。
  • 羽生香織「平成31年最判判批」『令和元年重要判例解説』ジュリスト1544号(2020年)62~63頁。

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